玄花's Diary

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玄花's Voice【7】

 

人は欲求(味わいたい感情、湧き上がる衝動的行動、無意識のレベルでの欲求)を叶えるために、現実をリアルに作り出す。又は、現実を仕込む。

 

という視点がある。

 

それを「いやいや絶対にそんな事はない。私はこんな現実なんて味わいたくなかった」と完全否定せずに、「そういう見方も出来るのだな。そうなのだな」と受け入れてみる。

 

そもそも全ての現実は自分が創造している。という視点を抜きに、自己実現も引き寄せも願いの実現もあったもんではない。

 

全ての現実は自分が創っている、という視点を受け入れると、「うわー、この現実を無意識にも私が創り出したとしたらなぜなんだろう?」という問いも生まれる。

 

問いが生まれると、脳は問いの答えを出そうと動き始める。そしてそこに新しい気づきが生まれる。

 

その気づきが正しいとか間違っているではなく、その気づきが新しい視点という事だ。

 

私たちは常に新しい物の見方を更新しているだけ。それに対して批判して来たり批評して来る人にはさせておいたら良い。

 

こういう物事の捉え方をすると良いとか、こういう風に考えるのだとか、嫌な感情が出て来るとすぐにクリアリングとか。何かのやり方や方法ばかりに長けて、じっくりと自分に寄り添う事を忘れないようにしたい。

 

まずは自分に湧く全てを「いいんだよ、それで」と受け入れる。

 

そうした上で、「あぁ私は今、物事をこのように捉えているのか」と気づく。ただ、気づく。ジャッジを抜きで。

 

その自分の視点に気づく事を、ただ気づく事を、「愛している」と言い換えてもいいのかもしれない。

 

私はその視点を愛している。

 

気づきというのは「愛している」という事で、それは立派な社会貢献で宇宙に貢献している事なのだ。

 

なぜなら、「気づく=愛している」ならば、この世界に愛を放っている(与えている)という事だからです。

 

与えるものが受け取るもの。

 

あれが欲しい、これが欲しい、もっと欲しい、もっともっと欲しい。だっていい。

 

でもそれよりもほんの1ミリ。愛しているという気づきをこの世界に与えて行きたい。

 

100与えなくてもいいし、100愛さなくてもいい。ほんの1ミリ愛する事が上回ればそれでいい。

 

そう思うんです。

 

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