玄花's Diary

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玄花's Voice【4】

私さえ我慢すればいい。

私さえ我慢すれば丸く収まる。

というのは、エーリッヒ・フロムのいうところの好意的サディズムだ。

 

(エーリッヒ・フロムの「愛するということ」は好きな本です)

 

私さえ我慢すればいい。という心の奥底に、だからあなたはこうなってね。そして私に何をくれるの?(優しい態度とかお礼とか感謝とか)

 

無意識にそういった動機があっての「あなたのために」を打ち出す方が非常に多い。本人はまったくそういった自覚がない。そしてそれを悪い非難している訳ではない。全ては自分の選択ですから。

 

 

私は強いとか強そうと思われる事が多い。しかし強いとはなんだろうか?と常々考える。

 

なんでも自分で出来そうだとか、しっかりしてる、リーダーシップがあるとか。それは強さではなく、ただの私の性質の一部だ。

 

逆に、わかりやすく弱い人に見えてその実、完全に人を支配している人をみるたびに、その強さには敵わないと思ったりする。

 

「私さえ我慢すればいい」という人は、その人自身も自分を弱いと思っている。しかしその言葉の呪縛は、無意識のレベルに働きかけるほどの支配力を持っている。

 

強さとはなんだろうか。

弱さとはなんだろうか。

そういう言葉のひとつひとつに、私たちは思い込んでいる意味がある。

 

「私さえ我慢すればいい」という一見弱いものに感じられる言葉の奥にある心理。それは自分が我慢してまでそのポジションにいるという、自立出来ていないから出て来る言葉である。

 

昨日加藤諦三さんという方を知った。

 

彼の言葉にこういうものがある。

「人は依存する対象に対して敵意を持ちます。依存的敵意と言います」

「依存している相手への憎しみの感情の処理は難しい」

 

親でも誰にでも、自分が敵意や憎しみを持っている相手に、もしかしたら自分は依存している、という視点。

 

歪曲した依存だが、例えばブログを読んだりセッションを受けたりする相手(ヒーラーやセラピストやブロガー)に対しても、依存という敵意の感情を持つ人は多いかもしれない。

 

愛と憎は混在しているその複雑さが、嫌いではないけれどね。 

 

 

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