玄花's Diary

玄花の徒然ブログ<オフィシャル

自分に媚びない


2013年12月9日過去ブログ再掲載


「褒められたい」
そう思わない人なんていない。


好きな人が出来る。
彼に媚びている自分がどこかにいる。


それを解っててその振る舞いをするのは楽しいけれど、いつしか、彼に気に入られる振る舞いや言動や、外見すらも彼の好みの装いに。


自分の軸ではなく、彼の軸でモノを考えてしまう時。
それは愛されたいから。


「愛されるワタシ」が「アナタを愛す」
そうして、愛し愛され燃え上がるという甘い罠。


相手が引き寄る程の何かが自分のコアから溢れ出すのは、「ワタシがワタシを愛す」時


しかし時に、
「ワタシがワタシに認められたい」


という罠にハマる時がある。
ワタシがワタシに媚びていないだろうか。


自分が思い描く理想のなりたい自分。
自分が自分に当て嵌めた役割。


その自分の決めた理想の自分を、いい人を、やめられない止まらない。


枠にハマらない自分、という枠にハマる。


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聞きかじったスピリチュアルの定義に自分を当てはめる。
引き寄せの法則に当てはめる。


それらを軸にものを考えた方がいいと考える。


それは本当だろうか。


それを軸にものを考えるのは自分の願いを叶えたいから。
それはエゴ。


だったら気持ちよくエゴを全開にしてしまった方が気持ちいい。


ジタバタしたっていいじゃない?


全ては愛だという事にも心を開きながらも、それだけでなく、360度の方向に全開に。


ただ、自分を精一杯生き切る。
誰にも媚びず。
誰かの目を気にせず。


自分に媚びず。
自分の目を気にせず。


大人の配慮ってやつは、しようと思ってするのではなく、自然にそういう振る舞いになる時がちゃんと来る。


360度の方向に自分を全開にジタバタして、痛い目見たとしても


痛い目見るのを怖がって、縮こまっているよりはいいじゃないか。



自分が決めた自分にハマっていたからこそ
 
 
自由で生きるという枠にハマっていたからこそ


自分が期待する自分を演じていたと気づいた経験があるからこそ


自分が人から思われたい自分をどこかやっていたからこそ気づいた事がある。



自分が自分に嫌われたくなかった。嫌いたくなかった。



時にそれは自分のモチベーションを保つのに有効だけれど、行き過ぎてそれが当たり前になると自分の中の正義になる。


愛の反対は、正義の押しつけ。


自分が期待する自分を(良い意味で)裏切った後にやっと、自分が自分を認められたんだ。



可愛いな、ってね。