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玄花's Diary

玄花の徒然ブログ<オフィシャル

愛と情の狭間で


2013年11月17日の過去ブログ




恋愛において、まさか錯覚であるはずがないという錯覚の錯覚を取り払って出て来るものがある。


「実は好きじゃなかった」という気持ち。
恋に恋していただけなの。って。


そこ、認めちゃえよ。




いやいやいやいや待て待て待て待て


だってこんなに胸がときめくし。
四六時中彼の事を考えているし。
身体の反応は嘘をつかないわ。


あぁでもそんな。
思い込みの甘い罠は身体の感覚すら変える。


恋は盲目。
思い込んだらとことん。


身体の声を聞いて欲するものを食べると良いと言われますが、整った身体である事が前提です。


習慣的に慣れた味が恋しくなったりと、脳や身体は時として嘘をつく。


甘いものや脂っこいものを取り続けていると、さらにそれを欲する。自分の感覚に頼るのであれば、その土台を整えないとね。




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「彼じゃなきゃだめ」
そう思い、彼と上手く行く未来を描くのは決して悪い事ではない。


そしてあなたの直感は、彼と上手く行く未来が見えているのかもしれない。それもいい。


だからと言って、彼と付き合えていない今を
自分の都合に合わせて良い風に考える事の罠にはまってはいませんか。


思考は現実化するからとか、
だから上手くいっていない彼との仲も、良い風にイメージしなければ、とか。


それ、まったく現実化しない。





確かに現実に起こる事の全てにYESとか、どういうルートでも自分の望む未来に繋がっているとか書いていますが


でも現実はどうだろうか?


今の現実から良いところだけ見出そうとするのではなく、ありのままを見る。


それが良い悪いでなく。「ただそうである」と言う事を。



「彼じゃなきゃだめ」


彼を想い彼に対して費やした時間にも、愛だけでなく執着が生まれる。




>愛はその対象を自由にして解放してやる事が出来る。

下記の横尾忠則さんの言葉より。




目に見えないエネルギーで相手をホールドする事なく相手を自由に解放していますか?





ストーカー的に女性につきまとう男性がいた。


だめなものはだめだという事が理解できない。


頑張れば振り向いてくれると信じている。


自分が悪かった訳でも、努力が足りなかった訳でもなく、ただ合わなかっただけ。


現実を見る勇気がないから続ける人もいる。


 by 為末大





これは、女性にも言えますね。



ただ合わなかっただけ。
そんな現実もある。


誰が悪い訳でも何が悪かった訳でもない。


執着の奥にも愛がある。それはわかっているけれど。


相手が振り向いてくれる事で自分が得られるものはなに?


相手が振り向いてくれない事で自分のどんな感情が喚起されている?


向き合うのは自分自身。


そして何よりも自分を労ってあげていいんだって事。


あなたはもっと愛されていいんだって。


誰よりもまずあなた自身に。





横尾忠則さんの「私と直感と宇宙人」より抜粋」


自分自身を完璧に愛することを躊躇していることは自我を愛していることである。


自我を愛することは芸術家にとっては完全な神の意志の伝達者としての道具としては不完全である。


(中略)


人は一度手にしたものを手放すということが如何に難しいかということだ。


一度手にしたものには情が移る。愛情ではなくて、情なのである。


愛はその対象を解放して自由にしてやることが出来るが、情はその反対に抱きかかえて相手の自由を束縛してしまう磁性力がある。


多くの場合、愛と情をごっちゃにしてしまっているはずだ。


執着というのは愛でなく情を指す。


(中略)


愛という名のもとで、子供や妻の自由を奪っているとすれば、それは愛ではなく情だ。


日本人の美学の中に情を認める文化があるが、この美意識は危険なものであるとワシは思う